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黒い聖域

安岡久遠の小説「黒い聖域」


第一巻:本妙寺の変

第一巻:本妙寺の変
「要約」
森岡洋介、35歳。ITベンチャー企業『ウイニット』の起業に成功した、新進気鋭の経営者で資産家である。彼は辛い生い立ちを持ち、心に深い傷を負って生きて来た。その傷を癒し、再び生きる希望と活力を与えたのは、大学の四年間書生修行をした神村僧である。神村は、我が国最大級の仏教宗派『天真宗』の高僧で、京都大本山・本妙寺の執事長を務め、五十代にして、次期貫主の座に手の届くところにいる人物であった。ところが、本妙寺の現貫主が後継指名のないまま急逝してしまったため、後継者問題は、一転して泥沼の様相を呈し始めた。宗教の世界であればこそ、魑魅魍魎の暗闘が展開されることになったのである。森岡は大恩ある神村のため、智力を振り絞り、その財力を惜しみなく投じて謀を巡らし、神村擁立へ向け邁進する。しかし森岡の奮闘も、事態はしだいに混迷の色を深め、ついにはその矛先が森岡の身に……!続編『第二巻 裏切りの影』に続く。

第二巻:裏切りの影

第二巻:裏切りの影
「要約」
巨大仏教宗派『天真宗』の覇権を巡る争いは、ますます混迷の度を深めていた。ITベンチャー企業『ウイニット』社長・森岡洋介は、一度は凶刃に倒れたもの死地から生還し、次なる手段を講じていた。しかし、思いもよらない裏切りが森岡を襲う。裏切り者は誰か? 過去と現在が交錯し、さまざまな人々の思惑が駆け巡る。森岡は、どう決断するのか? 新たな手は何か? そして、森岡の宿願の第一歩が叶う日が来る……。続編『第三巻 修羅の道』近日公開。
 

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第一章 乱雲(3)

第一章 乱雲(3)

 

「実に清々しい男だのう」

    老人はしだいに遠ざかる森岡の背を見つめながら呟いた。

「本当に」

 女性も肯き、

「さあ、私たちも参りましょう」

 と老人の手を取りながら、森岡と反対の方向に歩き出した。

「五十年も昔のことだが、わしの若い頃にはああした粋な男も結構いたが、今ではすっかり見られなくなった」

「軟弱か、狡猾な男ばかりです」

「情けない時代になったものじゃ」

    老人は嘆息すると、

「いや、わしもな、初めは何とも小賢しい奴が現れたものだ思っていた。じゃが、それは彼の時間稼ぎだとわかった」

「はい」

「君もわかっていたか」

「雰囲気と物言いが似つかわしくありませんでした」

「さすがはママじゃのう。そうでなくては、その若さで最高級クラブのママはできまいな」

「ありがとうございます」

    女性が微笑んだ。

「落としどころも最良だった」

「とおっしゃいますと」

「わしの観るところ、平凡な身形に反して、あ男は相当な金持ちじゃ。腕力の方も、もう一人の若い男には及ばないまでも、あのチンピラ二人ならどうにかなっただろう」

「そうでしたか」

「金で済ますなら簡単じゃった。だが、わしは商売人だからな、損は嫌いじゃ。と言って、もしママに危害が及ぶようやったら百万は出そうと思っていたがな」

「はい」

「あの男が金で済ましていれば、それだけの男だ。後でわしが彼に支払って済むことだった。だが彼はそうしなかった。しかも、暴力にも訴えなかった。喧嘩に及べば怪我をするかもしれないし、あの男も言っていたように治療費に金が掛かる。それも損じゃ。だから、あの男はもう一人の若者を待っていたのじゃ。あの若者であれば圧倒的な力の差がある。必ずや、チンピラどもは委縮して逃げ出すとな」

「では、最初からそこまで計算していたとおっしゃるのですか」

 うむ、と老人が小さく肯いた。

「孫子兵法の『戦わずして勝つ』じゃな)

「言われてみれば、なるほど彼の言動に得心がいきました」

「ところでじゃ、もしあの男ともう一人の若者が喧嘩をしたら、ママはどちらが勝つと思うかな」

「それは若い方でしょう。彼自身が自分は茶色帯と言っていました。対して若者は二段とか」

「いいや違うな」

「二人が戦えば間違いなくあの男が勝つ」

「ああ、わかりました。あの男性は若い方の雇主とか、社長に逆らうことはできませんね」

「わしが言っているのはそういう人間関係を抜きにしての話だ」

「そうであれば、やはりあの男性に勝ち目はないように思われますが」

「のう、ママ。空手の試合ならばママのいうとおり、一分も掛からずに若者の圧勝だろうて。だが、喧嘩となれは話が違ってくる。若者は死の恐怖に慄き、身体が竦んでしまいあの男に言い様に弄られるようだろうな」

「死、とおっしゃいましたか」

「ちらっとしか見ておらぬが、あの男の目には狂気が潜んでいた。何者をも恐れぬ心だ。戦いで勝敗を分かつのは相手を殺さんばかりの気力と、自身の死をも恐れぬ勇気なのだ」

「それをあの人は持っていると?」

    老人は無言で肯くと、

「人体にはの、いくら鍛えても鍛えられない箇所がある」

「急所ですね」

「そうだ。もっともわかりやすいのは目と股間だな。一度喧嘩になれば、あの男はそこを徹底的に狙うだろうな。それこそ、失明という障害を負わせてもな。だが、若者の方にはそれだけの覚悟はできないだろう」

「……」

 女性は言葉が見つからなかった。

 老人の言葉を昔の剣客に例えれば、空手の試合は道場の竹刀稽古のようなもので、怪我はするかもしれないが、滅多なことでは死に至らないため、自力に勝る坂根の圧勝に終わる。

    だが、命のやり取りとなる真剣での勝負になると、場数が物をいうことになる。いくら技量で勝っても、一度も人を斬った経験がない者と、少々腕で劣っても数多くの修羅場を潜って来た者とでは立場は逆転するのだ。理由は簡単で、胆力が違うからである。

    喧嘩となれば、坂根は技量の半分の力も発揮できず、対して森岡は、腕の一本も切り落とされるの覚悟で命を取りに行くということである。言わば身を切らせて骨を絶つの例えである。 

「わしは何百何千もの同じような目をした仲間を見ている」

「先の戦争ですね」

    そうだ、と老人は肯いた。

「思い出したくもないが、最後の頃は皆覚悟の据わった目をしていた。あの若さで、それと同じ目をしているとは、あの若さでいったいどのような人生を歩んで来たというのか」

 老人は複雑な表情で言った。

「たったあれだけのやり取りで、そこまでおわかりになるとは、さすがは会長ですこと」

「ママにはわからなかったようだの」

「わかるはずがありません」

 女性は首を横に振った。

「それは良かった」

 老人は安堵したように言った。

「良かった?」

「今でも孫とは釣り合わぬというのに、さらにママが高みに行ってしまえばどうにもならなくなる」

「私のような者をお孫さんの嫁に、と言って下さるのはありがたいことですが、身分が釣り合いません」

「今時、身分など関係が無いだろうて」

「いいえ。会長のお家は代々の名家、私は庶民どころか世間に顔向けのできない家の生まれです」

「わしはそのようなことはいっこうに気にせぬがな」

「失礼ながら、会長が亡くなられば私は後ろ盾を失います」

「それもそうだの。正直に言って息子夫婦はわしの考えを快く思っていない。孫が親に逆らうとも思えぬしの」

 老人は嘆息した。

「お付き合いは別にして、一度お孫さんもお店にお連れ下さい」

「それは駄目だ」

 老人は強く拒絶した。

「生憎、今は東京におるし、近いうちに呼び戻すつもりだが、孫に北新地はまだ早い。まずは地場が分相応じゃ」

「なるほど、会長の監視下にも置けますしね」

    老人は目を細め、さすがだという顔をすると、

「ああ、これだけの女性は滅多におらぬというのに……」

 と、もどかしそうに言った。

「それはそうと、彼の素性を確かめなくても良かったのですか。お礼の一つも……」

 と言ったところで、老人が女性の言葉を切った。

「確か、幸苑と言ったからな、店に行けばわかるじゃろ。是非、もう一度会いたいものじゃな」

「では、明日にでも出向いて確かめて参ります」

「二、三十代の若者二人じゃ。すぐにもわかるだろうて」

「はい、お任せを」

 女性は微笑みながら請け負った。

 

 明治の終わり頃に暖簾を上げた幸苑は、戦後から今日に至るまで、関西政財界のお歴々も足を運ぶという老舗の名店であり、高級クラブが軒を並べていることで有名な「北新地」とは指呼の間であった。

 約三百坪もの一等地の敷地に、総二階の数寄屋造りで西に片寄せて建てられていたため、一階であればどの座敷からでも、四季折々の風情を映し出す日本庭園を眺めることができた。

 当代の女将が始めた、来客に対しお茶室で抹茶を一服献上してから部屋に通すという趣向が評判を呼び、昼時などは女性の人気も博すようになっていた。

 二人がお茶席に着いていると、支配人から連絡を受けた女将が顔を出した。森岡は女将の村雨初枝(むらさめはつえ)とは昵懇の仲だった。

 書生の頃より、神村の随伴で再々訪店していたこともさることながら、その誼から結婚披露宴の場に、この幸苑を用いたことでより親交を深めていた。

「遅刻ですよ、森岡さん」

 女将の咎めるような口調にも、

「会社を早く出たつもりでしたが、雨のせいか渋滞が酷過ぎました」

 と、森岡は少しも悪びれた様子がない。

「今し方、森岡さんが到着されたことをお知らせするため、お部屋にお伺したのですが……」

 女将はそう前置きすると、

「谷川上人(しょうにん)は、何か思うところがお有りになるのか、森岡さんが来られるまでのお口汚しに、とお出しした前菜にはお箸を付けられず、おビールでさえ一口もお飲みになっていらっしゃらないのですよ」

 と緊張の声で言った。

 上人とは僧侶の敬称である。本来は、学徳を供えた僧に対する敬意を払った呼称なのだが、現代では僧侶であれば誰も彼も上人と呼ぶ風潮が蔓延している。政治家であれば、挙って先生と呼ぶようなものである。

――やはり、相当悪い話のようだな。

 森岡は心の中で呟きながらお点前を頂くと、右手の親指と人差し指で飲み口を拭き取り、懐紙を摘んだ後、茶碗を正面に戻した。

 そこへ坂根が到着した。

「それでは女将、別の座敷を一つ用意してもらえますか」

 と頼んだ。

「坂根。お前はそこで食事をしていろ。車は代行を頼むが、後で紹介するから飲酒はそこそこにな」

 森岡はそう言い含め、女将の案内で足早に谷川のいる座敷へと向かった。

 日頃、森岡や神村が使う座敷は、一階南側の鶴の間と決まっていた。十畳一間で、さほど広くはなかったが、敷地の中心に位置していたため、庭全体が一望でき、風流を好む神村のお気に入りの部屋だった。

 女将は、同伴者が森岡と聞いてこの部屋に通していた。

 失礼します、と女将が一声掛けて襖を開けると、森岡の目に懐かしい顔が飛び込んで来た。まさしく大阪府堺市・雲瑞寺(くもみずでら)副住職の、谷川東良の姿がそこにあった。

 森岡は、座敷に一歩足を踏み入れたところで正座し、

「谷川上人、遅れまして申し訳ありません」

 と深々とお辞儀をした。

「おお、森岡君か。こっちが無理を言うたんやから気にせんでええで」

「お久しぶりです、何時以来でしょうか」

「ほんま、久しぶりやな。まあ、そんなところで畏まらんとこっちに来いや」

 谷川は手招きをしながら気さくに応じた。

 二人は、森岡の書生時代に幾度も顔を合わせていた仲だった。

「最後に会おうたんは、君がまだ神村上人の経王寺(きょうおうじ)にいた頃やから、十二、三年ぶりぐらいになるかなあ。今朝、神村上人から話を聞いたのやが、なかなかに御活躍のようやないか」

 開口一番、谷川は曰く有り気に持ち上げた。

「とんでもないです。まだまだです」

 森岡は軽く受け流し、

「それより谷川さんこそ、アジア諸国を回って研鑽を積んでいらっしゃるそうではないですか」

 と追従した。

 すると、にこやかだった谷川東良の表情が一変した。

「そんなことよりな森岡君。神村上人から連絡があったやろう」

 はい、と森岡も神妙な顔つきで肯いた。

「谷川上人から詳しい事情を伺って、二人で良く相談をして欲しいとのことでした」

「そうか、それなら話は早い。実はなあ、ちょっと困った事になって君にも力になってもらわにゃならん」

 谷川は深刻な面で言った。

 細長くつりあがった狐目と口髭、パンチパーマの風体から谷川は一見その筋の者かと見間違う外見とは異なり、よく冗談を言うひょうきんな人物だった。

 だが、書生時代からその裏に潜んでいる正体不明の屈託が森岡は気になっていた。彼の努めて明るい振る舞いは、心の陰りを隠すためではないかと勘ぐっていたのである。

 それはともかく、表面上は陽気な谷川の、初めて見せた真剣な眼差しは、不安の剣となって森岡の胸の奥深いところまで突き刺していた。

「私にできることでしたら何でも致しますので、遠慮なくおっしゃって下さい。いったい何があったというのですか」

 森岡に問われて、谷川はいっそう険しい表情になった。

「それがな、森岡君。神村上人の本妙寺貫主就任の話が白紙になった。いや、白紙ならまだ良いが、流れるかもしれん」

「えっ! そんなばかな……」

 一呼吸置いて谷川の口から出た言葉に、森岡は我が耳を疑い、声にならない声を上げた。悪い予感は働かせていたものの、あまりに予想外の宣告だったのである。

 

 森岡の師・神村正遠(しょうおん)と谷川東良が所属する天真宗は、全国におよそ六千の寺院、二万人の僧侶、そして八百万人の信徒を擁する、我が国最大級の仏教宗派である。

 鎌倉時代、天真宗はその聖地を静岡県北西部の妙顕山(みょうけんざん)と定め、総本山真興寺(しんこうじ)を建立していた。

 この真興寺こそ、その後の布教の本拠地となった寺院である。

 現在、真興寺の周辺には六十を超える堂塔伽藍と、四十六もの子院(しいん)が配置され、総本山の宗務一切は、その子院群によって取り仕切られていた。直接的には宗務院の手に委ねられていたが、その宗務院には四十六子院の住職しか入れないため、間接的な影響力を行使しているという意味である。また、子院とは本寺の境内にあり、本寺に付属する小寺院のことである。

 妙顕山の背後に位置している高尾山は、総本山をお護りする山、すなわち護山(ござん)としての役目を担い、標高約千二百メートルの高地に、守護神高尾大明神を祀った「奥の院」と、僧侶の荒行修行の場である「妙顕修行堂(みょうけんしゅぎょうどう)」が置かれていた。これらの宗務もまた四十六子院の管轄下にあった。

 さて、これら子院群のほとんどが、副業として参詣客のための宿坊(しゅくぼう)施設を備えており、今日では宿坊名の方が通名となっているので、以後子院個々の名称はこちらを用いたい。

 一方、目を外に向けると、総本山真興寺の下には、全国に九ヶ寺の大本山と三十九ヶ寺の本山が位置し、さらにその下に六千にも及ぶ一般の末寺が連なるという構図になっていた。

 大本山や本山は、宗祖栄真(えいしん)大聖人縁の寺院であり、たとえば得度した寺院、布教のため逗留した寺院、入滅の寺院等々、その濃淡により格式付けられていた。神村が執事長を務める本妙寺も、その大本山の一寺院である。

 権力掌握の順位としては、総本山の法主が第一位であることは言うまでもなく、次いで同総務、同宗務院の宗務総長の順となったが、これは僧階、つまり僧侶としての位付けとは必ずしも一致してはいなかった。

 たとえば、総務は大本山や本山の住職、すなわち貫主と同格であり、新任の宗務総長は格下である場合も少なくなかった。

 総務とは総宗務総長の略称、つまり、全国寺院の宗務総長の長という立場である。多くの寺院は、ナンバー二の執事長が兼任しているが、各大本山・本山やあるいは末寺であっても古刹、名刹と言われる寺院にも宗務院がある。いずれにせよ彼らの頂点に立っているのが総務なのである。

 他宗派においては、この総務と宗務総長を兼任する人事が多いが、大宗派天真宗では区別していた。したがって、宗務総長は、あくまでも総本山の宗務を司ることになる。

 

 天真宗の僧階順位

 大僧正-権大僧正ー僧正ー権僧正ー大僧都ー権大僧都ー僧都ー権僧都

 権とは、準「準優勝」あるいは助「助教授」と言う意味である。

 

 僧階と職務

 大僧正    ――総本山・法主

 権大僧正――総本山・総務、同宗務院宗務総長、大本山及び本山・貫主

 僧正     ――総本山・宗務院宗務次長、大本山及び本山・執事長、他

 

 また、一口に大本山あるいは本山といっても、その建立に至った経緯や歴史、伝統といった、いわゆる縁起によって表向きのそれとは微妙に異なる格付けが暗黙の内に存在していた。この現実が、しばしば寺院同士、あるいは僧侶同士のあらぬ確執を生む原因ともなっていた。