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黒い聖域

安岡久遠の小説「黒い聖域」


第一巻:本妙寺の変

第一巻:本妙寺の変
「要約」
森岡洋介、35歳。ITベンチャー企業『ウイニット』の起業に成功した、新進気鋭の経営者で資産家である。彼は辛い生い立ちを持ち、心に深い傷を負って生きて来た。その傷を癒し、再び生きる希望と活力を与えたのは、大学の四年間書生修行をした神村僧である。神村は、我が国最大級の仏教宗派『天真宗』の高僧で、京都大本山・本妙寺の執事長を務め、五十代にして、次期貫主の座に手の届くところにいる人物であった。ところが、本妙寺の現貫主が後継指名のないまま急逝してしまったため、後継者問題は、一転して泥沼の様相を呈し始めた。宗教の世界であればこそ、魑魅魍魎の暗闘が展開されることになったのである。森岡は大恩ある神村のため、智力を振り絞り、その財力を惜しみなく投じて謀を巡らし、神村擁立へ向け邁進する。しかし森岡の奮闘も、事態はしだいに混迷の色を深め、ついにはその矛先が森岡の身に……!続編『第二巻 裏切りの影』に続く。

第二巻:裏切りの影

第二巻:裏切りの影
「要約」
巨大仏教宗派『天真宗』の覇権を巡る争いは、ますます混迷の度を深めていた。ITベンチャー企業『ウイニット』社長・森岡洋介は、一度は凶刃に倒れたもの死地から生還し、次なる手段を講じていた。しかし、思いもよらない裏切りが森岡を襲う。裏切り者は誰か? 過去と現在が交錯し、さまざまな人々の思惑が駆け巡る。森岡は、どう決断するのか? 新たな手は何か? そして、森岡の宿願の第一歩が叶う日が来る……。続編『第三巻 修羅の道』近日公開。
 

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序章

黒い聖域 第一巻 古都の変 

 

序章

 

 一九八四年、日本列島がまさに本格的なバブル時代に突入した年の晩秋――。

 和歌山県高野山の奥の院に於いて、約一年に亘って行われていた秘密の儀式が終焉を迎えようとしていた。

 高野山は平安時代に真言宗の開祖空海上人が開いた御山で、天台宗の開祖最澄上人が開いた比叡山と並び、平安仏教の中心だった聖地である。

 東西六キロ、南北三キロの、周囲を曼荼羅の象徴である八葉蓮華になぞられる峰々に囲まれた標高八百メートルの平地に、金剛峰寺をはじめ百数十の寺院が密集し、我が国でも他に例をみない一大宗教都市を形成している。

 なかでも、空海上人の御廟と灯篭堂がある奥の院は、僧侶の修行道場を意味する壇上伽藍と並ぶ高野山の秘地で、そこに至るまでの二キロの奥の院参道の両側には、二十万基とも言われる夥しい数の皇族、武将、政財界人、著名人らの墓標が林立している。

 徳川家康がその寺領を手厚く保護し、加えて徳川家の菩提所としたことから、天下の総菩提所の感を呈するようになったのである。 

 夜明け前、その奥の院のとあるお堂で二人の僧侶が向かい合い、気合のようなあるいは悲鳴のような奇声を掛け合っていた。

 年嵩の僧侶は六十代後半で法名を栄興(えいこう)、若い僧侶は四十歳過ぎであろうか、同じく栄麟(えいりん)といった。

 栄麟は、栄興が切る印相を真似、まるでテープレコーダーを早送り再生したように早口で発する経文を口移しに復唱している。

 両者とも頭髪も髭も伸び放題で、頬は欠け疲労の色は隠せない。いかにも長期間お堂に籠っていたことが察せられた。

 しばらくして、東の空が白み始めた頃、ふいに年嵩の僧侶の動きが止まった。

 そして、

「これにて密教奥義伝承灌頂(みっきょうおうぎでんしょうかんじょう)は恙なく終了致した」

 と告げた。

 その瞬間、栄興の面に疲労の中にも安堵に満ちた喜色が浮かんだ。

 密教とは、仏の言葉にならない秘密の教えのことで、奥義とはその中でも修行を重ねた者にしか授けられない秘中の極意であった。

「誠に有難うございました」

 「まさに瀉瓶(しゃびょう)の如し」

 栄興は、床に額を擦り付けて感謝の念を申し述べた栄麟の頭越しに、満足げな笑みを零した。

 瀉瓶とは,

『瓶から瓶へ漏らさず移し替える』

 という意味である。

「それにしても僅か一年足らずとはのう。拙僧など二年も掛かったというのに……。

さすがは、御宗祖様の生まれ変わりと称されるだけのことはある」

 栄興は感心しきりで褒めた。

「過分なお言葉でございます」

 栄麟が恐縮したとき、お堂の扉が開き老僧が姿を現した。非常に小柄ながら、日輪を背にした立ち姿は御仏のように神々しい。

 二人はその姿を見とめるや、緊張の面になった。

「御上(おかみ)、他宗派者(よそもの)にお堂をお貸し頂き、誠に有難うございました。お陰様で伝承は無事終了いたしました」

 栄興が平伏すると、栄麟もそれに倣った。

「大師様の教えを伝えるのじゃ、何ほどのことがあろうか。これでわしも安心してあの世に旅立てる」

 御上と呼ばれた老僧が莞爾と笑った。

 大師様とは真言宗開祖空海上人のことである。

 そもそも大師とは朝廷から高徳の僧に与えられる称号で、空海の他に二十三名いる。有名な宗派の開祖、たとえば天台宗の最澄は傳教大師、浄土宗の法然は円光大師、浄土真宗の親鸞は見真大師、時宗の一遍は証誠大師という具合であるが、あまりに弘法大師が有名になったため、今ではお大師様といえば空海を指すようになった。

 さて仏教は、その教えの学び方によって顕教と密教にわかれる。顕教とは、お釈迦様の教えを、経典など目に見える形で学びそして伝えるもので、密教は師から弟子へ口移しに伝承するものである。これを『口伝』という。

 批判を覚悟のうえで言えば、顕教の総本山的な地位にあるのが最澄上人が開いた比叡山延暦寺で、密教の総本山が高野山金剛峰寺だと言えるのではないだろうか。

 事実、現在の大宗派のうち浄土宗開祖の法然、彼の弟子で浄土真宗開祖親鸞、日蓮宗開祖日蓮、臨済宗開祖栄西、そして曹洞宗開祖道元という錚々たる宗祖たちが比叡山で学んだ者たちなのである。

 言わば延暦寺は総合大学、金剛峰寺は芸術大学とか音楽大学に当たる。総合大学の法学部や経済学部、文学部といった学部が教材、文字を使って学ぶのに対し、芸術大学や音楽大学は、ひらすら自己の感性を磨くことが肝要なことからも、顕教と密教の違いに当てはまると言えよう。

 もっとも、最澄上人もまた唐から密教を持ち帰ってはいた。空海上人が開いた密教を『東密(とうみつ)』と言ったのに対して、最澄上人のそれは『台密(たいみつ)』と言った。

 だが、短い留学期間に法華経や禅、密教と多くの教えを日本に持ち帰ろうとしたため、密教の奥義は会得できずに帰国していた。

 実は、密教奥義伝承灌頂を行っていた二人の僧侶は、真言宗僧侶ではなく、我が国でも最大級の仏教宗派・天真宗(てんしんしゅう)の僧侶であった。

 何故、他宗派の僧侶が真言宗開祖空海上人によって唐より持ち帰えられた密教奥義を伝承することができるのか。

 それは、最澄上人と同じく空海上人もまた密教の神髄を求める者であれば、宗派を問わず受け入れていたからである。

 歴史の事実として、留学先の唐のから帰国してすぐに建立した香川県の善通寺(ぜんつうじ)には、浄土宗開祖法然上人も訪れているし、浄土真宗開祖親鸞上人は参詣を切望しながら果たせなかったため、その代わりとして手ずから彫った木像を奉納している。その木像を安置しているのか親鸞堂である。

 また、日本仏教は五三八年の伝来以降、奈良時代の南都六宗、平安時代の天台宗と真言宗、鎌倉仏教を経て、現在は主だった宗派として十三に分派しているが、そのほとんどを高野山は受け入れている。

 然様に、空海上人もまた他宗派に寛容だったため、真言宗の神髄ともいうべき密教奥義も世に広く解放した歴史が有るのである。

 密教をもう少し詳しく言えば、『秘密仏教』の略称であり、仏教の一つだとされている。秘密の教えを意味するともされ。密教徒の用語では『金剛乗(こんごうじょう・ヴァジラヤーナ)』ともいう。これは、大乗、小乗と対比した表現であり、別に真言乗(マントラヤーナ)とも言う。

 顕教が民衆に向かい、広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘且つ象徴主義的な教義を、師資相承によって伝持する点に特徴がある。

 然様に、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で、秘密の教えだともされ、また言語では表現できない仏の悟りそれ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で秘密の教えだからだとも言われている。

 この密教は空海上人によって唐から持ち帰られ、朝廷の庇護の下、広く受け入れられた。

 というのも、この時代は天災や疫病が相次ぎ、その度に多くの犠牲者が出ていたのだが、貴族はこれを悪霊や怨霊の祟りだと恐れていた。そこで加持祈祷など、密教の秘密性が持つ超越的な力に頼ることによって災いを退けよう考えたのである。

 奈良から京都へと都を移した新時代にあたり、密教こそが国家を護る宗教として尊重されていったのだった。

 師が弟子に対して、教義を完全に伝承したことを証する儀式を『伝法灌頂』といった。

 天真宗僧侶の二人は、いままさにその伝法灌頂を終えたところだったのである。

 尚、天真宗は日本の歴史上もっとも繁栄した鎌倉仏教の一宗派である。

「それに、そなたの懸念も承知しておるでの」

「重ね重ねのご配慮恐縮でございます」

 御上の言葉に、栄興はもう一度頭を下げた。

 こうして密教奥義伝承は無事終了したのだが、実は栄興には、世間に秘する身上があった。ために、この灌頂儀式が大きな禍根を残すことにもなってしまったのである。